2013年12月のブログ記事
昇地三郎先生の旅立ち
障害児教育の先駆けとなられた昇地三郎先生が、
107才で、魂の故郷に帰られましたね。
本当にすてきな方で、昇地三郎先生のことを、
以前、ご紹介したことがあります。
昇地先生のことを尊敬していて、もっともっと
長生きしていだだきたかっただけに残念です。
昇地先生は3人の子どもさんがいらっしゃいますが、
2人の男の子には重い障害があったため、わが子を救うため
昇地先生は大学に入り直して医学を学び、障害がある子のための
「しいのみ学園」を創設されます。
その後、二人の男の子が亡くなり、奥さまにも先立たれて、
娘さんも見送り、とうとうお一人になられたのが96歳の時のことです。
何度逆縁をご経験されても、昇地先生は決して気弱になることは
ありませんでした。
逆に使命感がわいてきて、年に一度世界旅行をして、
行った先々で講演行脚をしようと決心されます。
そして、97歳から第2の人生をスタートされました。
106歳の時には、公共交通機関で世界一周した最高齢者として
ギネス世界記録認定も受けられています。
* * *
昇地先生が中学に入る時のエピソードがあります。
北海道釧路市に生まれ、山口県の中学校に受かったこともあって、
三郎少年は寮に入ることになりました。
その時にお母さんが教えてくれたことはボタンかけ。
当時は衣類の入手が困難で、お母さんはボタンかけを
三郎少年にぜひ教えておくべきと思ったのでしょう。
手順を教えてくれて、最後にかがりの糸をくるっと回す時に
お母さんがほろほろと涙を落としました。
その時に、三郎少年は何で悲しいのだろうと思ったそうです。
けれども、中学に入ってからお母さんの気持ちが分かるようになりました。
寮に帰っても相部屋がないので一人になれず、桑畑の中にはいって
家を思って泣いていたそうです。
そうすると、大地主や酒屋のぼんぼんも涙で顔をぬらして
桑畑から出てきて、やはりみなホームシックにかかっていたそうです。
お母さまが近所の人から
「よく小学校を出たぐらいの子を遠くにやれましたね」と言われると
「家に一緒にいるようじゃダメなんです」とおっしゃったそうです。
お母さまは、三郎少年の幸せのために物ごとを長い視点で考えられる、
とても聡明な方でいらしたのだろうと思います。
体の弱かった三郎少年が、これほど長生きされたのも、
お母さまが「一口につき30回噛む」ということを徹底的に
教えられたからで、昇地先生のご兄弟もみな長生きされています。
そしてかわいいわが子を、自分の庇護から離すことが必要と思えば、
どんなに寂しくても、自分の元から子どもを手放す勇気もお持ちです。
昇地先生の奥さまもまた大変霊性の高い方で、昇地先生のような
立派な方の後ろには、それを支えるすばらしい方々の存在があるのだな・・・
とつくづく感じます。
昇地先生は魂の故郷に戻られて、今頃愛するご両親や子どもさん
そして奥さまとの再会を心から喜び合っていらっしゃることでしょう。
心からご冥福をお祈りいたします。
※『106歳のスキップ』参照