2018年8月のブログ記事
遠隔ヒーリング体験談(No.251)M・Uさま/オーナーから忠告を受けた美容師さんが、短期間で指名が入るようになり、お勧め商品が次々と売れるように!
本日は、ディバイン・レイ・ヒーリングとレイキヒーリングを受けてくださったM・Uさまのすばらしい体験談をご紹介します:.。*.・゚
美容師のお仕事が思うようにできず、オーナーから忠告を受けてヒーリングをお申し込みくださいました。
その後 指名が入るようになり、お客さまにお勧めするメニュー(商品)は、売上表からはみ出るほど売れるようになり、短期間で状況が変化されたミラクル体験談です☆.:。.*・°
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●4月18日
美保さん、ご無沙汰しております。
今から10年以上前に美保さんに助けていただき、これまで本当に自分の思い通りに生きることができました。
実は3年前のことです。美容師だった母が亡くなり、あれほど嫌がっていた美容学校になぜか通うことになりました。いざ国家試験に受かり美容院に働くとなると、年のせいでしょうか? 頭も体も動かず、ほとんど役に立たない状態です。
昨夜、店のオーナーから「あまりにもひどすぎる」と忠告を受けました。
記憶力が悪く、指示された内容を把握できなくなり困っています。
ヒーリングで助けていただけませんか。
●5月18日
この一か月、ほんとうにありがとうございました。
実はお恥ずかしいことですが、これまでぼろぼろの生活を送っていました。
仕事が終わった帰り道、運転中なのにまぶたが閉まりそうになったり、家の駐車場に駐車したのはいいのですが、そのまま力尽きて眠ってしまったり。なんとか家にたどり着いても、玄関で靴を脱いだらそのまま寝落ちしてしまったり。
このままでは本当にダメな人間になると思ったので、美保さんにヒーリングを依頼したんです。
今日気がついたのですが、元気を出すためには、ちゃんと料理を作らないとだめだと思いました。作る気力がないからといって、コンビニに頼ってばかりではいけませんよね。
●8月8日
すっかりご無沙汰しております。
ずっとお礼を言いたいと思っていましたが、なかなか筆が進まずすみません。
左手の指にできてしまった肉芽腫ですが、すっかりきれいに治りました。
手術なしで!
ヒーリングがはじまってから、紹介状を書いてもらって病院を変えました。
お医者さんからは「治ったらラッキー。奇跡」と言われ、塗り薬だけもらいました。
診察時間はおよそ2分。完治した期間はおよそ10日。
ヒーリングって、ほんとうにすごいですね!
仕事でも、いままでお客さまは、わたしのお勧めするメニューを選んでくれることはありませんでした。
ですが先月は、売上表からはみ出るほどメニューをとっていただくことができました。
これまで、一つもお取りいただくことがなかったのに、ほんとうに不思議な現象です。
気が付いたのですが、これまで、売らなければいけないと力が入りすぎていました。今は、お客さまが聞いて楽しくなるような口上を考え、商品のキャッチコピーを考えて、それを朗々と語っています。
はじめていらしたお客さまに、よく「すごく、お話上手ですね」「勉強熱心なんですね」と言われるようになり、うれしくなってしまいます。こんな短期間のうちに成果がでるなんて、ほんとうにびっくりです!
お客様から、急に指名もいただけるようになりました。
ですが、わたしができるのはまだマッサージだけ。
明日も、わたしのハンドマッサージだけを目当てにお見えになるお客さまがいらっしゃいます。
美容院なのに、カットもパーマもなく、マッサージだけにいらっしゃるなんて、ほんとうに不思議な現象です。
オーナーがわたしの名刺を作ってくれることになり、先日、写真撮影をしました。
これから指名してくださるお客さまに配ります。
わたしの名前をご存知ない方ばかりですのに、指名の方が先に入るなんて、これも不思議な現象ですよね。
顔は覚えてくれている、ということですかね+。:.゜(人〃∇〃)*+。:.
美保さんには、本当に感謝しています。
美容学校の入学式に立っていたときには、「どうして望まない運命を切り開くような真似をしたんだろう…」と自分の選択に疑問ばかりが募っていました。
美容院で働くことが決まった時には、ただただ愕然としてしまって、絶望的な未来しか感じませんでした。
今は、この道を行けば、いつかまた必ず母に出会えるとわかります。
母のことですから、きっと次の人生でも美容師になるでしょう。そういう人です。
今回の人生では、母を手伝えることができませんでした。
手伝う気もまったくありませんでしたが、次の人生では、わたしも美容師として母のかたわらに立てるように、いまのうちに可能な限り勉強しておきます。
ほんとうに、ありがとうございました。
また、お願いすることがあると思います。
その時はまたよろしくお願いします。
※ヒーリングによって得られる結果には個人差があります
※スピリチュアルライフ研究所は宗教とは関係がなく、勧誘等も一切行っておりません
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M・Uさま、すてきな体験談をシェアしてくださり心より御礼申し上げます;.。*.・゚゜
たくさんのすばらしい変化をお知らせいただきましたが、なによりも驚いたのはM・Uさまのお仕事の成果でした♪ 魂の故郷から見守っていらっしゃるお母さまも、どんなに喜んでいらっしゃることでしょう:.。*.・゚
またM・Uさまをご指名で、ハンドマッサージのみの予約を入れたお客さまのエピソードをお伺いした時に、M・Uさまはお客さまから愛されていらっしゃるのだなと感じました☆.:。.*・°
納税額日本一の齋藤一人さんが、以前「商売人はお客さまからえこひいきされることが大事」とおっしゃっていた言葉を思い出します☆.:。.*・°
現在M・Uさまは、他店のヘッドスパなどのサービスも、ご自身の経験のために積極的に受けに行かれながら、勉強を重ねているご報告をいただいているので、これからのご活躍がとても楽しみです☆.:。.*・°
今回、ヒーリングの手法について少しご紹介をしますね。
私が2006年からヒーリングを学んでいる師は、霊格の高い神々と直接交信をされながら、刻々と変わる霊界の状況にあわせて、時流にあったヒーリング法が降ろされています。
霊界が変化をすると、少し時差があってこの世も変化してゆきますから、常に時流にあった方法を使うことが大切です。ヒーリングの手法も霊界の変化にあわせて日進月歩で進化をしています。
師のヒーリング手法の一つに護摩木や護符があり、これらによって因縁解消とご先祖さまのご供養も同時に行います。ヒーリングを受けてくださるほどに因縁解消が進み、霊的な障りの解消にもつながります。
また私たちの背後には上層から下層まで、様々な霊が守ってくださっています。
上層の霊と下層の霊では、使う護摩木や護符の種類が違いますから、実はたくさんの種類の護摩木・護符を使っています。これらによって守護している霊団が強化され、霊団の統率がよくなり、霊団の格が上がることで、私たちの運が開いてゆきます。
M・Uさまの速やかな変化も、きっと目に見えない霊団のみなさまのお力添えもあったのでしょう:.。*.・゚
ヒーリングの作用は2~3か月たつころから変化が現れたご報告が多いですが、実質は1年ほどの時間をかけながら、その方に最適な形で必要な時に必要なことが起きていかれます。
運気がアップされたM・Uさまが、お仕事もプライベートも順風満帆に進まれますように、心よりお祈りしていますね☆.:。.*・°
【生きのびる力をつけよう】震災が起きた後で死なないために/野口健著
2018年7月に、西日本を中心とする豪雨により大きな被害がでました。
被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
岡山県に住む叔母の家も、残念なことに、浸水被害により全壊となりました。
“晴れの国岡山”に住む叔母の家は、親族のなかでも最も安全な地域だと安心していただけに驚きを隠せませんでした。その後おかげさまで、叔母家族の生活再建は順調に進んでいます。
7月7日早朝に、叔母からの携帯で「あっという間に水がきて、今、2階に避難している」という連絡が入った後から、ずっとTwitterで情報を集めていました。
その時に、登山家の野口健さんと、岡山県総社市長 片岡聡一さんのツイートを何度も目にしたことから、その活動に注目するようになりました。
その後、野口健さんのご著書『震災が起きた後で死なないために』を読んで、野口健さんと片岡市長がしっかりとタッグを組まれて、様々な災害支援をされてきた、すばらしい活動内容を知り、心から感動しました。
その内容の一部をご紹介しますね☆.:。.*・°
野口健さんは、2011年の東日本大震災では寝袋支援をおこないます。
2015年に、登山途中で野口さん自身が“ネパール大地震”に巻き込まれたことがきっかけで、「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、総額1億円を超える寄附金をあつめて、復興支援活動をされます。
翌年2016年に起きた熊本地震では、野口さんはテント村(600人の入居者あり)を設営。
テント村設営の際には、岡山県総社市の手厚いサポートがありました。
片岡総一市長の力がなければ、テント村の実現はなかったそうです。
岡山県総社市は、災害支援にとても熱心な自治体で、東日本大震災のときも、総社市は一番のりで、宮城県仙台市にかけつけ支援活動をしています。
驚くのは片岡総一市長が、日本国内で大規模な災害がおきた際に、時の市長の権限において すぐに支援を行えるよう、2013年に条令を制定されたこと。
しかも、緊急の場合でも現金がすぐに動かせるように、年間1000万円の予算をつけて、伝票処理がいらない当座の現金を用意しているそうです。これは、普通の役所では考えられないことだそうです。
野口健さんは、片岡市長の活動を知り素朴にこう感じます。
“市民の税金を、他の市民のために使うだけでもハードルが高い。
しかも、被災した自治体からの要請をまたず、物資を被災地に届けたり、人的援助をする“プッシュ型支援”をすれば、失敗するリスクもある。
支援せずに、知らん顔を決め込んでいれば、政治家として平穏無事に過ごせるのに、なぜあえてリスクも覚悟で“プッシュ型支援”をするのか・・・?”
野口さんは、率直に片岡市長にうかがったそうです。
すると片岡市長はこう答えられました。
「人を助けるべきだと思っていますので」
熊本でのテント村設営の時にも様々な壁が立ちはだかり、責任問題や公平性を追及されて、困った野口さんは片岡市長に相談をします。
すると片岡市長はこう答えます。
「こういう時にルールにこだわっていては何もできません。『有事のときは、ルールを破れ。なにかあったら、私が責任を取るからやれ』といつも職員に言っています。どうぞ現場の判断でやってください。もしテント村で亡くなる人が一人でも出たら、私は市長をやめる。その覚悟です。そう伝えて進めてください」
この言葉を読んで、私は涙が出ました・・・
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平成30年7月豪雨では、岡山県総社市は一転して被災地となりました。
片岡市長が率いる総社市では、支援物資のフリーマーケットを開き、毎日1000人もの被災者の方が訪れて、各家庭に必要なものだけを、自由に持ち返ることができる仕組みを作りました。
7月の豪雨以降、私は毎日片岡市長のTwitterを拝見していますが、深い愛情に裏打ちされた熱意と行動力、対応のスピード感などがリアルタイムで伝わってきて、胸を打たれました。
また片岡市長は避難所でのペット同伴を認めます。
熊本のテント村では、原則ペットは認められなかったそうで、片岡市長は「その時の悔しさが忘れられない」と、総社市役所本庁の中に、ペットと飼い主のみなさん専用の避難所を開設。
また環境大臣に、ペット避難所の設置義務化を制度化するよう求めています。
さきほど、総社市は他の自治体で災害が起きた時のために条令をつくり、支援のための予算を毎年1000万円計上していることを書きました。
ところが、2016年の熊本地震の時には、市民の血税である1000万は一切使わなくてすんだそうです。
その理由を野口健さんが尋ねると、市民からの募金ですべてまかなうことができたから・・・なのだそうです。
総社市は 市民の方たちもたいへん理解があり、情報を流すと、義援金や現物など、必要なものを必要な時に届けることに、しっかりと協力してくださるそうです。
野口健さんが「これは本当にすごいことだし、市民のみなさんが誇るべきことだと思う。このような自治体と市民との連携で支援する形が全国に根づいたら、どれほど日本はすばらしい国になるだろうか」と感嘆されています。
この本の第7章のタイトルは「生きのびる力をつけよう」となっていて、具体的な防災の知恵もご紹介されています。
災害は、いつ訪れるかわかりません。
日本の避難所の環境は、先進国の中でもかなり劣っていて、国際基準であるスフィア基準に照らしあわせると、日本の避難所は失格という声もあるそうです。
せっかく災害をまぬがれても、避難生活で命を落とす人も出ている状況です。
この本を参考にされながら、事前にできる準備を整えて、まずは身近なご家族をしっかり守っていただければと思います☆.:。.*・°