亡くなってもすぐに転生できた理由/政木和三先生の奇跡の数々
今日は、自動炊飯器やエレキギターをはじめ、3000件以上の発明をされた、工学博士であり天才発明家の 政木和三先生のご著書からご紹介しますね:.。*.・゚
政木先生の前世は、お釈迦さまの教えを日本に広めた日蓮上人でいらっしゃるそうです。
常に人々の幸せを願っていらした日蓮上人のように、政木先生も発明品の特許を出願し認可されても、特許料は放棄されたそうです。
本来であれば4000億から5000億入るはずなのですが、誰でも特許を利用できるようにされたとは・・・その社会貢献度は想像を遥かに超えます。
私は政木先生の発明品であるアルファシータやバイオライト、神経波磁力線などを、今も宝物のように大切に愛用しています☆
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政木先生は、脳波を“瞑想の極地に達したような精神状態”の【シータ波】にすることで、遠い過去や未来も見通されていました。数々の発明品も、脳波をシータ波にすると、わずか数秒でできあがったそうです。
政木先生は昭和47年に「棒磁石を芯にした振り子をつくれ」というインスピレーションがわき、それに触発されて作った人間測定器を「政木フーチパターン」と名づけます。
政木先生は約7万人の方々の人間性を、政木式フーチパターンによって測定されながら、様々な悩みのご相談にも乗っていらしたそうです。
今日はその時のエピソードから 印象深い内容を、政木先生のご著書『欲望を捨てれば不可能が可能になる』からご紹介しますね:.。*.・゚
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岡山の研究所へある夫婦が訪ねてきた。
娘が病気なのでみてくださいと言うので、フーチパターンで測定してみると、14歳で死ぬとの表示であった。
これを聞いて、母親は泣き出した。
14歳まではあと2か月である。
私は「この子は2カ月後に死ぬことが、一番幸福なんですよ。だから2カ月後に死ぬことを夫婦で祝福してあげなさい」と言ったが、母親は泣きやまなかった。
しかし、2か月あまりして再びやってきて、言った。
「娘は14歳のお誕生日に亡くなりました。けれど、淋しくも悲しくも、なんともありませんでした。その少し前から14歳で死ぬことが本当に本人にとって幸福だからと心から思うようになりましたので、死んだ瞬間に祝福する気持ちになりました。」
さっそくフーチパターンで調べてみると、死の瞬間に天上界へ昇って成仏し、再びまた人間界に戻り、元の母親の胎内に宿っていることがわかったのである。
そこで「あなたは妊娠していますよ。娘さんが死ぬ時、父母の祝福によって死んだために、余念も執着もまったくなく、死ぬと同時に光の天上界へ行き、完全成仏によって、直ちに母胎に戻ってきたのです。今度の肉体はとても健康ですから、長生きできますよ。娘さんもお母さんも本当に良かったですね」と言った。
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私たちは何度も転生を繰り返し、その都度、様々な役割を体験しながら、霊性を磨いてゆきます。
通常私たちが魂の故郷に戻ると、しばらくは霊界での修行があって、再びこの世に生まれ変わると言われますが、これほど早く転生する事例があるとは驚きでした。
政木先生は「子どもが亡くなった時、いつまでも親が泣いていると、両親が死んで余念が消えるまで、子どもは成仏できず迷うことになる」とおっしゃっています。
魂の故郷に旅立つ時は、自殺を除いて、それが何歳であってもその人にとっての天寿と言われます。
使用困難となってしまった肉体から、新しい肉体に移ることを祝福してあげることのほうが、愛する人やペットのためでもあるんですね:.。*.・゚
政木先生のご著書には、通常では考えられないような不思議なエピソードがたくさん出てきます。
それはなぜかと言うと、政木先生が今世は科学者になるべく転生したため、科学で説明のつかないことは、幻想か錯覚だと考え、今世では、全くの無神論者だったからだそうです。
神々は、政木先生があまりに疑い深いため、神秘の力をこれでもかと政木先生に見せつけ、政木先生に“精神革命”が起こります。
このことが大きな転機となって、政木先生は、超常現象を非科学的だと思っていた自分の浅はかな独断を、心から恥じるようになります。
そして「この世には、人間の知らないもう一つのエネルギーが存在するのだ。それを探求することが、真の科学者ではないのか」と考え始めます。
その後、政木先生の身のまわりに、信じられないような奇跡の扉が次々と開かれてゆくようになったそうです:.。*.・゚
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