凜々(りり)しかった母の記憶/桐島洋子
私は10代から20代前半にかけて、桐島洋子さんや向田邦子さん、森瑤子さんや安井かずみさんなど、母親ほどの年齢の方のエッセイを好んで読んでいました。
みなさんそれぞれに、独自の個性が輝く世界をお持ちで憧れました。
息子が小学生の頃に、桐島洋子さんの『女が冴えるとき』というエッセイを読みました。
このエッセイの中に書かれていたお母さまのエピソードがすてきで、折々にふっと思い出すので、今日はその内容をご紹介しますね:.。*.・゚
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【凜々(りり)しかった母の記憶】
これは、私の最も恥ずかしい記憶に属する。
中学生の頃、私は愚かにも本屋で万引きをして、捕まってしまったことがある。
当人にとっては、これでもう私の人生も終わりだと思い詰めるほど深刻な衝撃だった。
あの屈辱の時間を思い出すと、今でも私は心の中で悲鳴を上げる。
「親を連れてもう一度来なさい」と命じられてとぼとぼ家に戻った私は、しばらく逡巡(しゅんじゅん)してから、やっと母にその事実を告白した。
その途端、バシッとしたたかに頬を打たれた。
しかしそれだけで、あとは何も言わず、スッと音もなく立ち上がった母は、たんすから着物を選び、鏡の前に姿勢を正した。
静まりかえった部屋の中に、しばらくキュッキュッと帯をしめる音だけが響いていた。
なんという着物なのか知らないが、ともかく彼女が最も大切にいつくしんでいる一着を母は選んだ。
私にもその母のいでたちが一番好ましく誇らしかったのだ。
それだけに、どうみてもこれから世にも惨めな状況に立ち向かおうという人の姿には思われなかったが、戸惑う私を、母は依然 無言のまませき立てて家を出た。
早足に前を行く母の毅然とした後ろ姿をみつめて従い歩きながら、私はしきりと水仙の花を思い出していた。
そして、書店に着き店主に深々と頭を下げて、娘の不始末をわびる母の物腰と言葉遣いは、私に時ならぬ誇りを感じさせるほど、上品で美しかった。
これはなんと貴重な救いであったことだろう。
威厳はあっても権高ではなく、神妙ではあっても卑屈ではない彼女の態度は、書店側の居丈高(いたけだか)な罵声を鎮める効果を持ち、静かに話し合いがついて、私たちはほどなく書店から放免された。
しばらく歩いてから振り向いた母の顔には思いがけない微笑があった。
「お菓子でも食べましょうか。そこのH堂のショートケーキはおいしいはずよ」
当時の私たちにとって、それはまだ心躍る贅沢だったのだ。
ケーキを食べ終わってナプキンで口を拭いながら、母がさりげなくささやいた。
「こりたでしょ。もう馬鹿なことはしないでね」
これがこの事件をめぐる唯一の叱言(こごと)だったが、これほどよく利いた一言は他にない。
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桐島さんが、ご自身の最も恥ずかしい記憶を通じて、まさに水仙の花のように、控え目でありながらも、すっと背筋をのばした高潔なお母さまの姿をご紹介くださったことに感謝しました:.。*.・゚
桐島さんは「もしあの時、母が取り乱して阿鼻叫喚の騒ぎになったら、私は恥の意識に追い詰められて、自殺による逃亡をはかったかもしれない。大げさに言えば、母のエレガンスが 私を破滅から救ったのである」と吐露されています。
この本を読んだのは、息子がまだやんちゃな時期で、本人に悪気はないのですが、お友だちの制服に、うっかりアクリル系の絵の具をつけてしまって、新品のシャツとお菓子を持って謝りに行ったりと、時々 頭を下げなければいけないプチ事件が起きていた頃でした(苦笑)
このエピソードは、母親としての姿勢を教えていただいたようで、とても深く胸に残りました。
桐島洋子さんは、未婚の母として3人の子どもさんを育て上げられ、長女の桐島かれんさん、次女の桐島ノエルさん、長男の桐島ローランドさん、それぞれにご活躍されています。
エッセイを拝見していると、桐島さんは驚異的なほど強い方に思えますが、そんな桐島さんが、ご自身のお母さまのことを「映画のヒロインのような母」と賞賛されています。
お母さまは、もともと病院長の娘さんでいらしたそうですが、夫(桐島洋子さんの父)が病弱のため、敗戦後は一家を支えて働くたくましい女性へと変身されたそうです。
お母さまはとても明るい方だそうで、桐島さんの導き方にもメリハリがあり、本当にすてきなお手本ですね:.。*.・゚
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