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スピリチュアル・精神世界のブログ記事

運気の低迷期もこわくない/ヒーリングは転ばぬ先の杖/年末恒例ヒーリングプレゼントのお知らせ

2017年12月27日

私たちの幸せは、徳の総量によって決まる
 
ヒーリングの師から、私たちの幸せは、一族が抱えている徳の総量によって決まると教えてもらいました。
 
 

 
 
 
30代までは、私自身や一族の徳が足りなかったのか、私も家族も様々なトラブルを経験しました。運気には波がありますから、運気のバイオリズムが低迷する時期は、徳の貯蓄による緩衝材がないためなのか、その都度まともに影響を受けていました。
 
中学から高校にかけて、私は心身ともにかなり辛い時期を過ごしました。高校を卒業してから、関西で学生生活を送るようになり、だいぶ状況が改善されたものの、まだ人見知りも強く、体調不良も抱えたままでした

その後も、様々な悩みはどうしたら解決するのだろう?と精神世界の本を読み、毎年伊勢神宮に参拝するなどして、自分なりの解決方法を探っていました。
 
 
私が今、ヒーリングを学んでいる師がよく教えはあっても救いがないという話をされます。あの頃は、精神世界の知識は増えてゆきましたが、まだ具体的に、自分を救うための決定的な方法がわからず、手探りの状況が続いていました。
 
2006年も私の運気のバイオリズムが落ちる年でした。まさに2006年に入った年明け早々に、目の病気を発症し、突然パソコンの画面が異様にまぶしく感じられて、サングラスなしで仕事ができなくなりました。まぶたが痙攣して目は半分しか開かずに、病院に行くと“眼瞼痙攣”と診断されました。
 
 

 
 
 
この頃は、小学校低学年の子どもを抱えたシングルマザーで、子育てと仕事を両立させるために自宅での起業を決めて、少しずつ軌道に乗りはじめた頃でした。
 
パソコンの作業に支障が出ると家計が立ちゆかなくなることを意味します。けれども目がまともに開かないと、外での勤務も厳しいかもしれない・・・と精神的に追い詰められました。
 
困り果てて、信頼している方に自分の状況を話したところ、「この人に相談するといい」とご紹介いただき、私の人生を決定的に変えることになるヒーリングの師に巡り会います
 
 
師は霊格の高い神々と交信をされる方で、神々から直接教わったトラブルの避け方、運気を上げる方法、徳の貯蓄の方法など、膨大な情報を教えてくださいました。
 
内容はとても難しくて、半分も理解できませんでしたが、師のおっしゃることを少しずつ実践してゆくことで、その後私の目は完治し、母が長年患っていたネフローゼ症候群(当時難病指定でした)も完治し、家族のトラブルが次々と解決に向かってゆきました。
 
 
 
運気のバイオリズムが最悪の時に、背水の陣で大学受験を迎えた息子
 
離婚後、私が大黒柱となってからは、私に何かあれば家族に大きな迷惑がかかりますから、師の教えてくださった運気好転法をコツコツと実践していました。また家族にトラブルが起きても、私の仕事の手が止まってしまうため、家族の運気好転法も同時に続けていました。
 
師に出会って数年が過ぎ、母と息子がそれぞれ3年間、運気のバイオリズムの低調期を迎えます。
 
「無事に乗り切れるかな?」と・・・やや緊張しつつ見守っていましたが、結論としては、母や息子は病気やケガ、トラブルも一切なく本当にホッとしました。息子の場合は、バイオリズムが最悪の時期が大学受験と重なりましたが、悲願であった第一志望の大学に現役合格するという朗報がもたらされました。
 
 
息子の受験は大きなプレッシャーとの戦いでした。多くの方は大学受験は複数校を受験するので、高校受験よりむしろプレッシャーは少ない方のほうが多いのではないでしょうか。
 
息子の場合は、目指す職業が明確に決まっていて、母子家庭という環境の制約があり、選択肢は1校に絞られるという背水の陣で受験に望むことになりました。本人もがんばっていましたが、まわりの受験生もがんばりますから、成績はなかなか安定しません。
 
高校3年の全統マーク模試は2回目(9月)も3回目(11月)もD判定。直前期12月の模試はさらに評価が下がり合格率20%以下のE判定・・・。絶望的な状況での受験でしたから、ただただ運が良かった・・・としか言いようがありません。
 
 
 

 
 
 
運気好転の鍵は“先祖供養”
 
バイオリズムが低迷する時期であっても、母や息子が守られたのは、師の話を信じて 2006年から コツコツと運気好転法を行い、徳の貯蓄を少しずつ貯めていたお陰ではないかと思っています。その運気好転の鍵とは、ズバリ“ご先祖さまのご供養”なのです。
 
ヒーリングの中では、先祖供養の他にも様々な方法を用いますが、やはり主軸は先祖供養です。
 
目に見えることではないので証明は難しいですが、 師がおっしゃる運気が底上げされるよと教えてくださったことの意味がこの時よくわかりました。
 
 

 
 
 
2016年が大凶運だった母の1年間は、実際はどうだったのか
 
また、2017年に入って四柱推命の本を読んでいた時に知ったのですが、前年の2016年の1年間は、母にとって60年の間に2回(合計2年間)訪れる大凶運の年だったことを知りました

このことは「事前に私が知らなくてよかった・・・」と思いました。母は年齢のわりにはお転婆(?)なところがあるので、この情報を事前に私が知っていたら、私は母のことをとても心配したかもしれません。
 
ところが、母にとって大凶運であるはずの1年を改めて振り返ってみれば、その1年も何ごともなく、本当に穏やかに過ぎてゆきました。
 
私自身は「知らぬが仏」で、母が元気に過ごしていることを当たり前のように思っていましたが、背後で守護霊団のみなさまが、必死の思いで母を守ってくださっていたのかもしれません。
 
霊団のみなさまは未来が見えているので、先を見越してあらゆる伏線を張ってゆきます
 
 

 
 
 
四柱推命や占い系の本はとても面白いですが、計算は複雑で時間のかかるものも多く、私が母の細かい運勢まで調べることは滅多にはありません。
 
四柱推命の本を書かれている、私の大好きな著者さんが、16年ぶりに四柱推命の本の改訂版を出されていたことを知り、2017年の始めに購入しました。
 
その著者さんだったから、私は珍しく家族全員の面倒な計算式に取り組み、母の細かい運勢まで時間をかけて調べました。
 
あとから振り返れば、「母が前年に大凶運であったことを知ったこと、そしてそのご加霊の大きさに気づかされたのも、霊団のみなさまの伏線だったのかも?」と思わず考えてしまいました(笑)
 
 

 
 
 
霊界の存在は、10年、20年という長い時間を見越して伏線をはることなどお手の物
 
霊界の存在は未来が見えているので、10年、20年という長い時間を見越して伏線をはることなどはお手の物です。
 
以前師から、霊界の存在が事前に張ってゆく伏線のエピソードをお伺いした時に、私も同様の体験があり「なるほど!」と膝を打ちました。息子の大学受験合格までの道のりも、霊界のご加霊を如実に感じ始めたのは、息子が小学3年生の頃にさかのぼります。
 
私は息子が3歳になる頃に離婚をして、それ以降は仕事優先の暮らしになり、息子に手をかける時間がほとんど取れなくなりました。
 
けれども、息子の方向を指し示す方が、数年おきに絶妙なタイミングで現れ、息子の進路のために必要な“場”が地元に着々と整っていくのは、ただごとではないと感じていました。
 
息子にも「これは、霊団のみなさまが、あなたのために準備してくれたことかもしれない。感謝しなくちゃね・・・」とよく話していました。偶然にしては、あまりにできすぎていると感じることが多かったからです。
 
私ははじめの頃は「息子は守られているな」と思っていたのですが、途中からこれは私が仕事に専念するためで、実は私が守られているのかもしれないと感じるようになりました。霊界のご采配とは本当に深いものだ・・・と、自分の実体験を通じてひしひしと感じていました。
 
 

 
 
 
霊界を救う者は救われる
 
ヒーリングの師が、霊界を救う者は救われると教えてくださいました。
 
私は母子家庭になってから、周りも驚くほど慎重派になりました。石橋を叩いて渡るようになれば、何ごともスローペースになりがちで、スピードの速い時代には欠点ともなり得ることでしょう。
 
けれども母子ともに路頭に迷わず、なんとか生き延びてこれたことは、奇跡としか思えない・・・と心から思っています。師に教えられた通り、ご先祖さまのご供養を欠かさなかったことで、目に見えない応援があったのではないかと思います。
 
師にお会いした時に、直感的にこの方の教えは本物だと感じました。
その勘は、10年以上師について学んできて確信に変わりました。

 
 

 
 
 
2006年から師のヒーリング法をセッションに加えるようになり、如実な変化を実感
 
私が行うヒーリングは、師に教えていただいた最新の方法を用いています。
 
霊界の状況は刻々と変化してゆきます。霊界に変化が起きて、少し時差があってこの3次元の世界も変わってゆくために、ヒーリングも常に時流にあった【旬】の手法でお送りする必要があるそうです。
 
2002年にレイキとであい、長い間ボランティアとしてご縁のある方にレイキをお送りしていました。2006年に師のヒーリング法に出会ってからは、師が教えてくださった最新の運気好転法をセッションに加えるようになりました。
 
するといただくご報告の質が変わってきました。セッションの経過報告を拝見しながら、「私たちは目に見えない力に、こんなにも支えられているのか・・・」と、私自身が最もよく知る立場にありました。
 
ヒーリングでは短期間の間に驚くような変化を体験される方もいらっしゃれば、長い時間をかけて、ジワジワと結果がもたらされることもあります。霊団のみなさまは、何十年先の未来を見越して、その時々に必要な人に合わせてくれたり、必要な情報をくれたり、思いがけない偶然を引き起こしてくれたりします。
 
その変化は、一見するととてもささやかで、見逃してしまう方もいらっしゃるでしょう。もしくはその段階では、それが幸運の種だとわからないことのほうが多いかもしれません。
 
私自身もまさにそうで、息子が折々に出会う方から、次の道を指し示してもらうことが多く、後から振り返れば、「あの方はキーパーソンだった」ということに、数ヶ月たってから気づかされたことが何度かありました。霊界のご加霊は本当に奥が深く、目の前の現象だけで到底説明できるものではありません。
 
 

 
 
 
日々の記録を取ることで、より霊界のご加霊に気づけるように
 
また日々の小さな変化は、記録に残しておかないと、忙しさに紛れて忘却の彼方に消えていきます。私は原田隆史先生のご著書に感銘を受けて、 2013年4月から 日誌を欠かさずつけるようになりました。
 
これは見事に習慣化してしまい、その後一日も欠かしたことがありません。記録は1時間ごとにできるようになっているので、数年前であっても、その日一日、自分が何をして過ごしていたのか、体調や感情、気づき、家族の状況などがわかるようになっています。
 
日誌のお陰で、私たちがどれだけ深く霊界に守られているのかが、以前よりもずっと明確に気づけるようになりました。
 
霊界のご加霊は、実質はかなり長期に渡って続くので、ヒーリングを受けてくださる方は、可能であれば1日1行でかまいませんから、記録をつけていかれることをお勧めしますね。
 
 
私たちは“生物として生き残る”ために、日々起こる良いことよりも、悪いことの方が記憶に残りやすいそうです。それが次のトラブルを回避するために大いに役立つからです。
 
ですから、日常の中で良いことがあったり、「ああ、守られた!」と感じることがあっても、日常の中に埋没して、その感動を忘れてしまうこともあるでしょう。ですから、記録は大いに役立ちます。
 
 

 
 
 
ヒーリングはオーダーメイド
 
人それぞれ、徳の多寡(多いか少ないか)は違っています。徳の多寡が、私たちの幸不幸の決め手になっていると、師が教えてくださいました。
 
ヒーリングをご依頼いただくと、私たちの幸せのベースとなるご先祖さまのご供養を同時に行います。霊団が救われれば、ヒーリングをご依頼くださった方は陰徳(人に知らせず密かにする善行)が積み重なり、徳の貯蓄残高が増えてゆきます。
 
徳の貯蓄がまだ少ない方、もしくは過去世で罪を作り、言わば借金を抱えているような場合は、マイナスの状況からスタートして、ニュートラルの状態に運気を引き上げる段階ですから、大きな手応えは感じにくいかもしれません。けれどその間でも、ヒーリングが作用していない訳ではなく、水面下では様々な根回しが行われ、状況は前に進んでいます。
 
 
また、霊界の導き方で、師からお伺いした時に「ほ~っ!」と思った話があります。
 
例えば、重い因縁を背負っている方が、初めてヒーリングを受けにいらした場合、通常であれば、マイナスからニュートラルに運気を引き上げるまでには、かなり時間がかると普通は考えます。けれども、神々はその人が目に見えない世界に目覚めるように、あえて最初に大きな奇跡を見せることがあるそうです。
 
人は実際に自分が体験してみなければ、なかなか信じられないものですから、霊界はその人に最もふさわしい方法で、導いてくださるものなんですね。まさにオーダーメイドです。
 
 

 
 
 
ヒーリングは転ばぬ先の杖
 
過去にヒーリングを受けてくださっている間に、車の接触事故を起こした方がいらっしゃいました。普通であれば「ヒーリングを受けているのに、なんでこんな災難が起きるの?」と疑問に思われるでしょう。
 
けれども、霊的な視点から見れば、もしかすると命に関わる大難になるところを、接触事故という小難に食い止めてくださっている場合もあるのです。
 
ですから、表面的に起こっている事象だけで判断することはとても難しい面があります。
 
 
また、この世は魂を磨く実践の場なので、一生が平穏なだけでは必要な学習ができませんから、人生にはよいこと、悪いことが繰り返し起こります。変化が常なのです。
 
師のヒーリング法と出会ったことは、私の人生の中で「これ以上の幸運はない」と断言できるほど、個人的にすばらしいギフトだと感じています。けれども、最も信頼している師のヒーリング法であっても、人生にもたらされるトラブルを皆無にすることは難しいだろうと思います。
 
なぜならば、神々は「負のご加霊」と言って、私たちの“魂の成長”のための必要なカリキュラムを組み、ステップを踏んで、高度な課題を徐々にこなしていけるように、一見すると、試練と思えるマイナスの出来事(負のご加霊)をお与えになることがあるからです。霊界の導きとはなんて深いものなのでしょう!
 
 

 
 
 
今、世の中は大きな変化の時を迎えていますから、ご自分の力だけで乗り越えることに不安を感じている方は、霊界側から働きかける方法もあるということを、知識の一つとして頭の片隅にとどめていただければ幸いです。
 
今の時代は人間だけの力ではなく、人と霊とが共同歩調で願いを実現していく流れになったそうです。
 
スピリチュアルライフ研究所でお送りしているヒーリングは、盤石な人生の土台を整える【運気好転法】であり、まさに【転ばぬ先の杖】なのです。
 
 
 
ヒーリングを受ける時のコツ
 
ヒーリングを受けると、○○の悩みは必ず解決しますか?」というご質問を時々いただくことがあります。師から学んだヒーリングは豊かな可能性を秘めていますが、私自身も実際にヒーリングをお送りしてみなければ、どのような結果がもたらされるかはわからないのです。
 
また私たちセラピストは、結果を【確約】することはできませんから、その点も事前にお伝えしています。

過去のご報告からは、当初予想した以上の結果がもたらされた方がいらっしゃいますし、私自身は願いの実現をあきらめかけた頃(半年から1年たった頃)に、3つの願いが立て続けに叶った経験をしたことがあります。ですから、とても時間がかかる場合もあります。
 
私自身の3つの願いが実現した体験談は、そのうち1つは、ブログではご紹介できない内容ですが、残り2つは、過去のブログでご紹介しています。記事はこちら
【周りの幸せを願う公的な願い(公的願事)を通じて、 個人的な願い(個的願事)を叶える方法】
 
 

 
 
 
ヒーリングを受けていただく時のコツは、あまり結果を焦らず運気の底上げをされるお気持ちで、ご自身のご先祖さまをしっかり供養されて、まず守護霊団のみなさまにお幸せになってもらい、その後「私たち家族のことを最善に導いてくださいね♪」というスタンスがよいのではないかと思います。
 
そして、日々起こる出来事を簡単に記録に残されて、よいことがあった時には、守り導いてくださる霊団のみなさまに感謝のお気持ちを伝えられると、ご家族を陰で支えている守護霊団のみなさまは大変喜ばれて、さらなるご加霊をくださるでしょう。
 
(※上記のご説明はすべてスピリチュアルライフ研究所独自のヒーリング法に関するものです。他社のヒーリング法には適用されませんので、その点をご了承くださいませ
 
 
ここ数年、私自身は年中無休でセッションを承っています 困った出来事は年末年始も関係ありません。出張等がない限り、24時間以内にご返信を差し上げていますから、いつでもご遠慮なくお声をかけていただければ幸いです:.。*.・゚
 
 

 
 
 
有料セッションを受けてくださった年は、年末恒例でヒーリングをプレゼントしています
 
毎年恒例の行事なのですが、 ささやかな御礼の気持ちを込めて、 有料セッションをご依頼くださった年には、大晦日の夜11時半から30分間、新しい年が光と祝福に満ちたすばらしい年になりますように、ヒーリングのプレゼントをしています。
 
このヒーリングは、師の最新のヒーリング法を用いた神聖かつ特別なヒーリングになりますから、ぜひお役に立てれば幸いです.。.:*・°
 
今年も、多くの方とご縁をいただいて本当に感謝しております。
新たな年がみなさまにとって、たくさんのお幸せがもたらされるすばらしい年となりますように、心よりお祈りしていますね。
 
愛と光を込めて☆.:。.*・°
 
※スピリチュアルライフ研究所は宗教とは関係がなく、勧誘等も一切行っておりません
※ヒーリングによって得られる結果には個人差があります
 
 

 
 

 
 
 

ダメなときほど運はたまる/萩本欽一さん

2017年6月28日

萩本欽一さんと言えば、コメディアン、タレント、司会者、ラジオパーソナリティー等で活躍され、驚異の高視聴率を連発して、テレビ界を席巻されたことで、多くの方がご存知だと思います。
 
 

 
 
私はテレビでお馴染みの“欽ちゃん”のイメージしかありませんでしたが、大変お世話になっている方から「萩本欽一さんの本はとってもスピリチュアル」とご紹介をいただいて、早速読んでみました。
 
萩本さんが【運】というものをとても大切にされていて、萩本さん独自の【運】の哲学が、とても深かったです。
 
萩本さんが【運】を強烈に意識するようになったのは高校生の頃。

萩本さんの家には毎日のように借金取りがやってきて、自分の家はモーレツに貧乏なんだと気づいたことがきっかけだったそうです
 
今日は、萩本さんが一番苦しかった高校生の頃のあるエピソードがとても印象的だったのでご紹介しますね☆.:。.*・°
 
 

 
 
 
— ☆ ———-

大人になって成功する人は、若者を惹きつけるいい言葉を持っています。
高校時代、忘れられない思い出があります。
 
このころ僕の家は、税務署が差し押さえに来るほどお金に困っていたので、いろいろなアルバイトをして、家計を助けながら自分の学費も出していたんです。
 
甘納豆屋さんでアルバイトをしていたある日のこと。
自転車で甘納豆を配達に行く途中、うしろに積んでいた荷物で、横を走っていた車を傷つけちゃいました。
 
僕はぜんぜん気がつかなかったんですけど、うしろからパンパンッってクラクションを鳴らされて止まったら、車から降りてきたおじさんが、車にできた引っかき傷を指して言うんです。
 
「見ろ、これお前がやったんだぞ」
「すいません。でも僕、気がつかなかったんです」

「名前は?」
「言えません。僕、高校生で、今はアルバイトの途中なんです」
「じゃあアルバイト先の名前を言え」
 
「言えません。僕の時給270円なんです。母親を助けようと思って働いているので、これを弁償することになったら母親が泣きます。アルバイト先の会社も、時給270円で雇っているアルバイトの弁償金を払うことになったら大変だと思います。

だからおじさん、名前とか会社とか聞かないで。僕がおじさんの会社で働けばいいんじゃないの?僕、1年でも2年でもおじさんの会社で働いて、車を傷つけた分のお金を返します」
 
 
そう言ったらおじさん、スッと背を伸ばして僕に頭を下げたんです。

「すまん、君の言っていることは正しい。僕もアルバイトから始めて、今こうやって車に乗れるようになったんだ。そのことをすっかり忘れていたよ。怒ってすまなかったな。君、学校を卒業したあと、もしよかったらうちの会社にきてくれ」
 
僕に名刺を手渡して、おじさんはブワ~ンと去っていきました。
呆気にとられて見送ったあと、泣いちゃった。

かっこいいなぁ、僕もああいう人になりたい!
どんな偉人より、僕にはお手本になった人だった。

一生の恩人です。
 
 

 
— ☆ ———-
 
 
 
本当に、すてきなエピソードですね☆.:。.*・°

車を傷つけてしまった時、とっさの判断でこれだけのことを相手に伝え、提案できる高校生の萩本さんもすごいですし、また萩本青年の真摯な態度に、姿勢を正して頭を下げた男性もなんて粋なんでしょう!
 
 
萩本さんは高校生の頃、アルバイト経験を通じて「自分は損な役回りを率先して引き受けて、一生懸命やろう」と思ったそうです。

そのほうが人間関係が円滑になったり、信頼関係が早く結べることを、体験を通じて覚えたそうです。
 
ですから、このような困った場面でも、ほぼ反射的に、母親、雇い主、そして相手の男性のことを、心から想う言葉が飛び出たのでしょうね・・・。

高校生の萩本さんに教えられます。
 
 
萩本さんは「誰でも運の貯金通帳を持っていて、その人の生活に応じて増えたり減ったりしている」とおっしゃっています。
 
 

 
 
例えば、萩本さんは短時間で大金の入るコマーシャルの仕事は、当時、テレビですでに大成功していた自分にとっては、“運の貯蓄”という意味からはマイナスになると判断して、すべて断っていたそうです。
 
萩本さんがテレビの仕事をいったんやめた理由も、テレビで成功していた期間が16年。萩本さんがものすごく貧乏をしていたのも16年だったことに気づかれて、苦労していた時代に貯めた運の収支決算をした時に「あっ、もうこれ以上、大きな運はつづかないぞ」と思って、さっと身を引かれたそうです。
 
 
萩本さんは、こうして、常に運のバランスをご自分で測りながら生活をしているそうです。
 
決して運を一人占めしようとせずに、長い人生をトータルで考えれば【運と不運は半分半分】というゆるやかな考えが、大難を小難にする萩本さんの生きる知恵なのかもしれませんね。
 
長く成功を続けられた萩本さんの、体験に基づいた生き抜く知恵と、面白い視点をいっぱいもらえた、すてきな内容でした☆.:。.*・°

※参照『ダメなときほど運はたまる』『続 ダメなときほど運はたまる』
 
 

 
 
 

亡くなってもすぐに転生できた理由/政木和三先生の奇跡の数々

2017年5月28日

今日は、自動炊飯器やエレキギターをはじめ、3000件以上の発明をされた、工学博士であり天才発明家の 政木和三先生のご著書からご紹介しますね:.。*.・゚
 
 

 
 
政木先生の前世は、お釈迦さまの教えを日本に広めた日蓮上人でいらっしゃるそうです。
 

常に人々の幸せを願っていらした日蓮上人のように、政木先生も発明品の特許を出願し認可されても、特許料は放棄されたそうです。

本来であれば4000億から5000億入るはずなのですが、誰でも特許を利用できるようにされたとは・・・その社会貢献度は想像を遥かに超えます。
 
私は政木先生の発明品であるアルファシータバイオライト、神経波磁力線などを、今も宝物のように大切に愛用しています☆
 
* * *
 
政木先生は、脳波を“瞑想の極地に達したような精神状態”の【シータ波】にすることで、遠い過去や未来も見通されていました。数々の発明品も、脳波をシータ波にすると、わずか数秒でできあがったそうです。
 
政木先生は昭和47年に「棒磁石を芯にした振り子をつくれ」というインスピレーションがわき、それに触発されて作った人間測定器を「政木フーチパターン」と名づけます。
 
政木先生は約7万人の方々の人間性を、政木式フーチパターンによって測定されながら、様々な悩みのご相談にも乗っていらしたそうです。
 
今日はその時のエピソードから 印象深い内容を、政木先生のご著書『欲望を捨てれば不可能が可能になる』からご紹介しますね:.。*.・゚
 
 

 
 
— ☆ ——————————

岡山の研究所へある夫婦が訪ねてきた。
娘が病気なのでみてくださいと言うので、フーチパターンで測定してみると、14歳で死ぬとの表示であった。
 
これを聞いて、母親は泣き出した。
14歳まではあと2か月である。

私はこの子は2カ月後に死ぬことが、一番幸福なんですよ。だから2カ月後に死ぬことを夫婦で祝福してあげなさいと言ったが、母親は泣きやまなかった。
 
 
しかし、2か月あまりして再びやってきて、言った。

「娘は14歳のお誕生日に亡くなりました。けれど、淋しくも悲しくも、なんともありませんでした。その少し前から14歳で死ぬことが本当に本人にとって幸福だからと心から思うようになりましたので、死んだ瞬間に祝福する気持ちになりました。」
 
さっそくフーチパターンで調べてみると、死の瞬間に天上界へ昇って成仏し、再びまた人間界に戻り、元の母親の胎内に宿っていることがわかったのである。
 
そこで「あなたは妊娠していますよ。娘さんが死ぬ時、父母の祝福によって死んだために、余念も執着もまったくなく、死ぬと同時に光の天上界へ行き、完全成仏によって、直ちに母胎に戻ってきたのです。今度の肉体はとても健康ですから、長生きできますよ。娘さんもお母さんも本当に良かったですね」と言った。
 
 

 
 
— ☆ ——————————
 
 
 
私たちは何度も転生を繰り返し、その都度、様々な役割を体験しながら、霊性を磨いてゆきます。

通常私たちが魂の故郷に戻ると、しばらくは霊界での修行があって、再びこの世に生まれ変わると言われますが、これほど早く転生する事例があるとは驚きでした。
 
政木先生は子どもが亡くなった時、いつまでも親が泣いていると、両親が死んで余念が消えるまで、子どもは成仏できず迷うことになるとおっしゃっています。
 
魂の故郷に旅立つ時は、自殺を除いて、それが何歳であってもその人にとっての天寿と言われます。

使用困難となってしまった肉体から、新しい肉体に移ることを祝福してあげることのほうが、愛する人やペットのためでもあるんですね:.。*.・゚
 
 
 
 
 
政木先生のご著書には、通常では考えられないような不思議なエピソードがたくさん出てきます。
 
それはなぜかと言うと、政木先生が今世は科学者になるべく転生したため、科学で説明のつかないことは、幻想か錯覚だと考え、今世では、全くの無神論者だったからだそうです。
 
神々は、政木先生があまりに疑い深いため、神秘の力をこれでもかと政木先生に見せつけ、政木先生に“精神革命”が起こります。
 
このことが大きな転機となって、政木先生は、超常現象を非科学的だと思っていた自分の浅はかな独断を、心から恥じるようになります。

そしてこの世には、人間の知らないもう一つのエネルギーが存在するのだ。それを探求することが、真の科学者ではないのかと考え始めます。
 
その後、政木先生の身のまわりに、信じられないような奇跡の扉が次々と開かれてゆくようになったそうです:.。*.・゚
 
 

 
 
 

言霊の力と加速の法則/斎藤 一人

2017年1月30日

今日は斎藤一人さんと舛岡はなゑさんの共著『これまでしたことのない話』から、言霊の力によって運気を加速的に上げるコツをご紹介しますね.:。*.*・°

斎藤一人さんは、銀座まるかんの創業者で、納税額日本一の実業者として知られている方です。
 
 

 
 
— ☆ ———-

ホントに人生は、何を思うか、何を言うかで、ぜんぜん変わってきちゃうんだよ。
本当に言霊の力ってスゴいの。

「いやぁ、オレって、しあわせだよなぁ」って言うと、なぜか幸せを呼び寄せるんだ。
たとえ、思ってなくても、言った言葉のほうが現実になりやすいんだよ。

そば屋に言ったとき、かつ丼を思い浮かべながら「もりそば」と言うと、言葉で言ったほうの、もりそばが出てくるよね(笑)
 
人間の脳や人の思いは、言葉に影響されるんだよ。
だから「言霊が大事だ」って、オレは言うの。

人生何を言うかなんだよ。
言ってると、心が伴ってきちゃう。

 
———- ☆ —
 
 
一人さんの例え話は、本当にわかりやすくて大好きです(笑)

このことを「本当にそうだな・・・」と思った出来事がつい先日ありました。
苦手な会計作業にヘトヘトになり、Amazonプライムで適当に選んだドラマを流しながら作業をしていました。
 
そのドラマでは、妻夫木聡さんが大学4年生のさわやかな青年役を演じていました。
有名な俳優さんなのに、テレビを見ないので全く知りませんでした(笑)

2004年に放映されたドラマなので、妻夫木さんが20代前半の頃の作品ですね。
繊細な感情表現のうまい俳優さんだなと思い、少し他の作品を検索してみました。
 
様々な役柄に精力的にチャレンジされていて、演技派俳優さんだけあって、発する言葉や表情が変われば、同じ妻夫木さんのはずなのに全くの別人になってしまうんですよね・・・

同じ人でもこんなに受ける印象が違うことに、改めて【人間って言葉や表情から成り立つ存在なんだな・・・】と実感しました♪
 
私たちの発する言葉やしぐさなどが変われば、周りの人の受ける印象もガラリと変わるので、運気も連動していくのは”自然の理“でもあるのでしょうね。
 
 

 
 
 
ここから、少しスピリチュアルな話になりますが、私たちが言葉を大切にし、自分の霊性を高めたいと願い、そのための努力を続けていけば、それに見合った守護霊、守護神に交代してゆきます。

ありがたいことに、守護してくださる方々の交代は比較的頻繁に行われるそうです。
 
 
私たちの性格や能力、才能は霊団の影響を色濃く受けるので、力のある霊団に頻繁に入れ替えが起こってゆけば、運気は必然的によくなってゆきますよね。

ただ逆に言えば、人生をむだに過ごしていると霊格の低い霊に交代してしまい、悪循環が加速してしまうこともあるそうです
 
 
力のある守護神、守護神に交代していただくと、さらに上の段階に踏み込んでいくことも可能で、守護霊団の力によって、能力以上の力が身につくこともあるそうです。
 
 
世に名を残すような人の多くは、そのような守護神の力と自らの努力で、運を手に入れることができた人たちだそうです。

私たちは霊界と表裏一体の存在ですから、日々の行いをいつもより意識しながら、よい霊団の方々に味方になっていただきたいものですね☆.:。.*・°
 
 
【お知らせ】

現在、公式サイトの引越し作業を行っています。サイトの見た目は変わりませんが、2月末ごろまでは、サイトが一時的に見づらくなることがあるかもしれません。その場合は、携帯専用サイト⇒http://mihomari.jpn.org/をご覧いただければ幸いです:.。*.・゚
 
 

 
 

神様から与えられる試練/眼瞼痙攣

2016年9月16日

10年ほど前のことですが、私は眼瞼痙攣(がんけんけいれん)という目の病気を発症しました。
 

眼瞼痙攣(コスモス).jpg
 

ある日のことですが、いつも通りにパソコンの画面を見ていると、突然画面が眩しくて、まともに目を開けていられないような辛さを感じました。
 

ドライアイなのかな?と思い、病院で診察していただくと眼瞼痙攣と告げられました。

眼瞼痙攣とは、脳からの指令の誤作動によって、目の開け閉めのスイッチが故障した状態になるものです。原因は不明で、根治的に治す方法もわかっていません。

私もまぶたが痙攣して瞬きが止まらなくなり、目を一生懸命開こうにも半分しか開きません・・・。
 

当時、パソコンの画面は常にまぶしくて、画面の照度を最低限にさげてもまだまぶしく、サングラスをしながら1日3~4時間、ようようパソコンに向かうという状態でした。夜間の運転時は、前の車のテールランプが目に突き刺すように感じられます。
 

離婚して数年間、がむしゃらに仕事をしていましたが、このまま子どもを抱えて仕事を続けられるか不安になり、私がとても信頼していたMさんに自分の状況をお話しました。

そして「ぜひこの方にお会いするといい」とご紹介くださったのが、私がもう10年ほどヒーリングを学んでいる師なのです。
 

劇的だったのは、師にお会いした日の夜、「あれ!?パソコンの画面がそれほど眩しく感じられない・・・」と思って、少しサングラスを外してみました。するとそのまま30分ほどサングラスなしでパソコンが打てたのです。

サングラスをはずしてパソコンを打てたのは実に3ヶ月ぶりのことで、この体験は劇的でした。
その後、ヒーリングと平行しながら生活改善を試みて、時間はかかりましたが完治しました。
 


 

ヒーリングの師は、神々と直接交信する手段をお持ちです。
そして、霊格の高い神々のメッセージを惜しみなく私たちに教えてくださいます。
 

私は目の病気が治ったあと、この病気は師に巡り逢うために、「眼瞼痙攣」という病気を体験をさせられたんじゃないか?と感じていました。

病気にならなければ、当時信頼しているMさんに、自分の困った状況をお話する機会もなかったですし、師をご紹介いただくチャンスもありませんでした。
 

サングラスを外して、3ヶ月ぶりにパソコンを打てた時の感激は、不安でいっぱいだった私の心を励ますにあまりあるものでした。この体験がなければ、用心深い私が、すぐには師の力を信頼できなかっただろうと思います。

その後も、何度も奇跡とも思えるような不思議な体験をくりかえし、「私は生涯、この師についていこう!」と一点の迷いもありませんでした。
 

眼瞼痙攣(バラ).jpg
 

目が治ってから数年後、「目の病気は神様が計画されたことではないか?」と思っていたことへの【答え】とも思える、神々の言葉を師が降ろされたのでご紹介しますね:.。*.・゚

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魔とは本来、人間から生じた邪悪な念を由来としますが、天が与える魔も存在します。
それは神が与える「負の加霊」で、成長を願う愛の鞭です。
神々がその人の成長にあわせて、絶対に乗り越えられる試練を与えるのです。

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「救いと災いは同時にやってくる」と、神々がよくおっしゃっています。
私も病気がきっかけで、とてもお会いできないような師に巡り逢うことができました。
 

生きていれば幸せを感じる日々もあれば、辛さに打ち砕かれそうな日々もありますよね。

どうして自分だけが・・・と天をうらみたくなる日もあるかもしれませんが、今体験されている辛い出来事も、 もしかすると、神々が成長を願って与えてくださっている【愛の鞭】なのかもしれません☆.:。.*・
 

(※スピリチュアルライフ研究所は宗教とは関係がなく、勧誘等も一切行っておりません)
 
 

 
 
 

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