日々のつぶやきのブログ記事
片田敏孝教授の防災教育
しばらくブログの更新が滞っていましたが、その間に熊本で大きな地震がありました。
今もなお余震が続いており、被害を受けられた皆さまに心からお見舞い申し上げます。
震災が起きる前のことですが、たまたま手に取った本の中に、下記のような内容が書かれていて驚きました。
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日本の国土面積は、世界の0.07%です。
でも、世界で発生する地震の約10%が日本で発生しています。
(M8以上の「巨大地震」ではじつに約20%!)
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※「大学生がダマされる50の危険」参照
「地震大国日本」という言葉はよく耳にしていましたが、まさかこれほどまでとは・・・
数字を見るとその現実が胸に迫ってきます。
2011年に起きた東日本大震災の時には、まだ息子は中学生でしたから、わが家のような母子家庭の場合、どうやって家族を守ればよいのだろう・・・と考えさせられ、2011年を境に私自身の意識や行動はかなり変わりました。
わが家も、いずれやってくると言われる南海トラフ地震の影響を受ける地域ですし、また自宅のそばには大きな活断層が走っています。地震に関する本を数多く読みましたが”釜石の奇跡“として知られている片田敏孝教授のご著書には胸を打たれました。
片田敏孝教授は、子どもたちの防災教育に取り組まれ、その子どもたちがやがて大人になり、子供や孫を持つ10年、20年、30年先のことまで見通して意識改革に取り組まれ、「想定外」を生き抜く知恵や準備について教えてくださいました。
片田教授のご著書の中にあった「『地震がこなければいいな』という会話はあり得ない。地震は100%来るのだからしっかり備えておきなさい」という厳しい言葉に、私は片田教授の深い愛情を感じました。
今後起こり得る自然災害に対して、私たちが最悪を想定してできるだけの準備を整えれば、その後のことはすべて天のご判断に委ねるしかありません。
この地球に住まわせていただき、この肉体でさえも一時的にお借りしているものであるならば、日々生かされていること、働ける体があることにただただ感謝し、自分にできることは何かを常に胸に問いかけながら歩んでゆきたいと思います。
幸せ考
底抜けに明るい息子が幼い頃、「母ちゃん、楽しいね~」「母ちゃん、おいしいね~」と、いつも私にくっついてきて、満面の笑みで話しかけてくる姿を見て「これ以上の幸せはないなぁ・・・」と、何度もしみじみとした幸せに包まれました。
やんちゃで手を焼くことのほうが多かったですが、幸せは常に足元にあって、決して遠い所にあるものじゃないということを、息子に教えてもらいました。
今も、これが私自身の幸せに対する考え方のコアな部分になっています。
私はヒーリングを通じて、ご縁をいただく方の守護霊のご供養もさせてもらっているのですが、本当にささやかな活動ではありますが、霊団のご供養は、実はとても大きなところに繋がっているそうです。
霊界と現世の私たちは密接なつながりがあるために、私たちに起きていることは、霊界で起きていることの現れでもあります。実は戦争でさえも、霊界の状況が現世の私たちに顕現されていると言うと、驚かれる方も多いのではないでしょうか。
これを個人のレベルに置き換えれば、ヒーリングを通じて、依頼者の方にゆかりのある霊団のご供養をさせていただくと、様々な争いやトラブルを未然に防ぐことにも繋がってゆきます。
私一人でできることには限りがありますが、生涯のライフワークとして、御縁をいただく方の霊団のご供養は、体が動く限り、またご依頼がある限り、続けることができればと願っています。
上記は私の公的な目標になるのですが、自分自身の私的な幸せについて考えれば、家族が健康で、生涯元気に働けて、好きな本が読めて、数人の友人と親しく過ごし、尊敬する師について学び続けることができれば、十分すぎるほど幸せですね。
年に一度、すべての方に等しく訪れる、願望が叶いやすい【最大パワー周期】という期間があって、私が今 そのサイクルに入っているので、40件の願いごとを書き出す作業を行っていました。
改めて書き上がった願いを眺めていると、以前に比べて、願望の内容も随分変わったなと思います。
☆最大パワー周期の詳細は下記をご覧くださいね。
物欲もかなり減って、余計なモノは極力持ちたくないですし、モノの管理にも時間を取られるので、さらに物を減らしてすっきりさっぱり過ごしたいなと思っています。
「自分の○○な点を乗り越えたい」というような願望も増えてきました。
願望を通じて、その時々の自分が客観的に見えてくるのは面白いですね。
欲望が盛りだくさんな時期もよし、またそれをそぎ落とす時期もよしですね。
これからも、その時々の素直な感情に従って行動していこうと思います.。.:*・°
毎月、新月の日に願望実現のお役に立てるようサポートのプレゼントをさせていただいています。
ご興味があれば、ご遠慮なくお試しくださいね。
(毎月お申込みいただくことも可能です)
食料の備蓄にエドガー・ケイシーもおすすめのオートミール
今朝、伊豆大島近海が震源地の地震があったそうですがご無事でしょうか・・・
お見舞い申し上げます。
今年3月に伊予灘が震源地の地震がありました。
その時は夜中の2時で熟睡している時間帯でしたが、警報器がけたたましく鳴って私も息子もすぐに目が覚めたので、「警報器はやはり効果があるな」と思って、もう一台買い足しました。
ヒヤっとした体験をすると事前に色々な対策を練れるものですから、自然からのメッセージとして防災の見直しによいチャンスでもありますね.。.:*・°
前回の地震の後に、わが家は備蓄食料にオーガニックのオートミールを加えるようになりました。
食べ盛りの息子(高2)がいるので、備蓄にはずっと頭を悩ませていました。
缶詰などがあまり好きではなくて、賞味期限が近くなると、それを食べていくのがノルマのような気持ちになってしまうので、何かもっといいものがないものかと考えていました。
そんな時に、「20世紀最大の超能力者」と言われるエドガー・ケイシーのリーディングを読んで、これだ♪と思いました。
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週に少なくとも3度は、ホットシリアル(注:玄米粥やオートミール)をとりなさい。
煮すぎてビタミンを崩さぬようにすれば、体の抵抗力を強める血行に不可欠な、鉄、珪素、ビタミンが効率よく得られます(840-1)
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オートミールと一緒に各種ナッツ類と、自然な甘みを加えるために、レーズン、生姜糖、クランベリー、デーツ、なつめなども備蓄しています。豆乳やヨーグルトを加えれば、加熱せずにすぐに食べることもできます。
ナッツ類はフルーティヤさんで購入しています。
実は備蓄用と言いながら、息子がすっかり気に入って、色々なものを混ぜてはお菓子代わりのように食べています。
レシピもネットで調べると豊富に出てきます。
色々アレンジができるので、オートミールは飽きがこないですね。
現在購入しているオーガニックのオートミールは、1年ほど保存期間がありますから、何度も期限を確認する手間もありませんし、期限切れの前に息子の胃袋に収まってしまいそうです・・・(笑)
自立の大切さ
10年ほど前に職場でご縁のあった上司が、先日、息子と一緒にご飯に誘ってくださいました。
わが家の近くには大きな病院があるので、奥さまの通院の送り迎えの際に、野菜やお花などを持って、時々立ち寄ってくださっていたのですが、2年ほど前に奥さまが亡くなられました。
上司は70代で一人暮らしとなり、随分寂しくていらっしゃるだろうな・・・と心配しましたが、お一人で何でもできて自立されているので、その後新しい職場も見つかって、今も元気にお仕事されています。
上司は元々は経営者で、今の職場の経営者も上司と同年代。
家族ぐるみのお付きあいもあるので、「俺になにかあった時には頼む」と全幅の信頼をよせられているそうです。
毎日けっこう忙しく、近所にはお孫さんもいらして交流もあるそうで、以前と全く変わらずイキイキとされていて、本当にうれしくなりました.。.:*・°
以前、一緒に仕事をしていた時にも、花の水やりや掃除なども、気軽にさっと自らが動かれていました。
奥さまの体調が悪い時には、数年間、料理づくりもすべて上司がしていたそうです。
私たちが最もストレスを受けるのは、配偶者(夫・妻)や恋人の死だという統計結果があります。
とくに奥さまを亡くされた男性が受ける精神的ダメージは大きい場合が多いと思いますが、上司がすぐに立ち直られたのも、自らのことは何でもできるという自信も大きく影響しているのかもしれません。
上司は高校生の頃から色々とご苦労があり、そんな話も高校生の息子にたくさんしてくださいました。
上司と別れた後に息子が
「すごいなぁ・・・。おいら、Mさん(上司のこと)大好きや。めっちゃ勉強になる!」と私に話してくれたのもまたうれしいことでした.。.:*・°
昇地三郎先生の旅立ち
障害児教育の先駆けとなられた昇地三郎先生が、
107才で、魂の故郷に帰られましたね。
本当にすてきな方で、昇地三郎先生のことを、
以前、ご紹介したことがあります。
昇地先生のことを尊敬していて、もっともっと
長生きしていだだきたかっただけに残念です。
昇地先生は3人の子どもさんがいらっしゃいますが、
2人の男の子には重い障害があったため、わが子を救うため
昇地先生は大学に入り直して医学を学び、障害がある子のための
「しいのみ学園」を創設されます。
その後、二人の男の子が亡くなり、奥さまにも先立たれて、
娘さんも見送り、とうとうお一人になられたのが96歳の時のことです。
何度逆縁をご経験されても、昇地先生は決して気弱になることは
ありませんでした。
逆に使命感がわいてきて、年に一度世界旅行をして、
行った先々で講演行脚をしようと決心されます。
そして、97歳から第2の人生をスタートされました。
106歳の時には、公共交通機関で世界一周した最高齢者として
ギネス世界記録認定も受けられています。
* * *
昇地先生が中学に入る時のエピソードがあります。
北海道釧路市に生まれ、山口県の中学校に受かったこともあって、
三郎少年は寮に入ることになりました。
その時にお母さんが教えてくれたことはボタンかけ。
当時は衣類の入手が困難で、お母さんはボタンかけを
三郎少年にぜひ教えておくべきと思ったのでしょう。
手順を教えてくれて、最後にかがりの糸をくるっと回す時に
お母さんがほろほろと涙を落としました。
その時に、三郎少年は何で悲しいのだろうと思ったそうです。
けれども、中学に入ってからお母さんの気持ちが分かるようになりました。
寮に帰っても相部屋がないので一人になれず、桑畑の中にはいって
家を思って泣いていたそうです。
そうすると、大地主や酒屋のぼんぼんも涙で顔をぬらして
桑畑から出てきて、やはりみなホームシックにかかっていたそうです。
お母さまが近所の人から
「よく小学校を出たぐらいの子を遠くにやれましたね」と言われると
「家に一緒にいるようじゃダメなんです」とおっしゃったそうです。
お母さまは、三郎少年の幸せのために物ごとを長い視点で考えられる、
とても聡明な方でいらしたのだろうと思います。
体の弱かった三郎少年が、これほど長生きされたのも、
お母さまが「一口につき30回噛む」ということを徹底的に
教えられたからで、昇地先生のご兄弟もみな長生きされています。
そしてかわいいわが子を、自分の庇護から離すことが必要と思えば、
どんなに寂しくても、自分の元から子どもを手放す勇気もお持ちです。
昇地先生の奥さまもまた大変霊性の高い方で、昇地先生のような
立派な方の後ろには、それを支えるすばらしい方々の存在があるのだな・・・
とつくづく感じます。
昇地先生は魂の故郷に戻られて、今頃愛するご両親や子どもさん
そして奥さまとの再会を心から喜び合っていらっしゃることでしょう。
心からご冥福をお祈りいたします。
※『106歳のスキップ』参照